きーばあちゃんのしょうが湯一代記 第八章

 創立27年目に入りました。


25周年の祝いが済み、「さあーこれからスギマルの誕生」を
書いてまいろうと思ったのですが、なかなか書けなくて・・・。

やはり父のしょうが湯を手伝ったところまでさかのぼり
書いていかなくてはスギマルの歴史は語れません。

しょうが湯の歴史は父と母が2,3年かけて苦労に苦労を重ねて
開発した商品です。

以前から、あめ湯、冷やしあめはありました。

戦後甘ければいい商品は作られてまいりましたが、
父、母は身体に良い商品を作りたいと長い間願っていました。

父が子供のころ、祖母が風邪気味だった時にかたくりと砂糖を湯に溶き、
飲ませてもらっていました。

すると身体が温まり、快方に向かいました。(それを父が思い出して・・・)

そこでしょうがを使った商品が出来ないものかと
試行錯誤していましたら、しょうが湯がやっとの思いで出来ました。

販売価格は5食200円で、当時大卒の初任給は15,000円の時代でした。

これは(このしょうが湯)はかなり高価な商品でした。

本格的に製造販売を始めて、新規問屋を開拓していく決断をしました。

すると商品は美味しく、味も良く、特に風邪に良い商品だと確信しており、
またこの世にはない初めての商品でもありました。

しかし実際は、父が初めて作った自信作のしょうが湯は、
相手方には伝わらず「お風呂に入れるの?」という質問が返ってきました。

ここから、父、母、姉、私、四人の波乱万丈の時代に入っていきます。

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