きーばあちゃんのしょうが湯一代記 第二章
こんにちは、きーばあちゃんです。
大変、大変、長らくお待たせいたしました。「きーばあちゃんのしょうが湯一代記 第ニ章」です。
終戦後、父清義は、地元にある日立造船へ就職し、母ヒフミと結婚し、一男、二女をもうけました。
結婚して、姉(長女)が8年目に生まれ、
その3年後に私(きーばあちゃん)、その3年後に弟が生まれました。
その後、父は日立造船を退職し、知人からの勧めで、番傘の商売を始めました。
しかし、番傘の製造では、ノミで手を打つ大けがしてしまい、仕事が出来なくなり、
番傘の商売は、しかたなく諦めました。
その時、私は、初めて母の泣く姿を目にしました。
母はただ、押入れの前で、声を押し殺して泣いている様に見えました。
私は子供ながら、母に声をかけられず、見ないふりをしたように思います。
母は父に対して、一度も口応えをした事は無く、母が泣いた姿を見たのは、
後にも先にも、これ一度です。
当時は、貧しい生活の毎日だったはずなのですが、
私たち子供は、自分の家が苦しいと感じた事はありませんでした。
(唯一、姉は知っていたかもしれません)
父 清義は、家族を人一倍大事にする人で、
家族の食事を食べさす日銭を稼ぐため、毎日毎日、一生懸命働いておりました。
そんな生活の中、父は、知人の借金の連帯保証人になり、その知人が夜逃げして、
借金返済のため、生活は苦しくなっていきました。
スギマル きーばあちゃんより 次回へ続く
番傘の商売は、しかたなく諦めました。
その時、私は、初めて母の泣く姿を目にしました。
母はただ、押入れの前で、声を押し殺して泣いている様に見えました。
私は子供ながら、母に声をかけられず、見ないふりをしたように思います。
母は父に対して、一度も口応えをした事は無く、母が泣いた姿を見たのは、
後にも先にも、これ一度です。
当時は、貧しい生活の毎日だったはずなのですが、
私たち子供は、自分の家が苦しいと感じた事はありませんでした。
(唯一、姉は知っていたかもしれません)
父 清義は、家族を人一倍大事にする人で、
家族の食事を食べさす日銭を稼ぐため、毎日毎日、一生懸命働いておりました。
そんな生活の中、父は、知人の借金の連帯保証人になり、その知人が夜逃げして、
借金返済のため、生活は苦しくなっていきました。
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