きーばあちゃんのしょうが湯一代記 第三章

 こんにちは、きーばあちゃんです。


またまた大変、長らくお待たせいたしました。

「きーばあちゃんのしょうが湯一代記 第三章」です。


父は、私が小学校の頃は、あめドロップ菓子をつくり、

菓子問屋に卸しておりました。

しかし、菓子問屋の倒産等で生活は大変でした。

倒産した菓子問屋は支払いができないので、

お金の代わりに菓子(チョコピー他)商品を持ち帰っていましたが、

私には事情が分からなく、お菓子を喜んで食べていました。


小学校4年生くらいだと思うのですが、こんな事もありました。

父の配達する自転車(荷台が大きく、荷物がたくさん積める自転車)を、

坂の上までおして上がりました。

しかし、この自転車は大きくて、小さい私には足が届きません。

ブレーキにも手が届きません。


坂の上に自転車を持っていき、足の届かない自転車に乗って、

坂の上から出発したんです。

何とか下まで走っていき、

ちょうど尾道の対岸にある、向島中央の東西橋のあたりで自転車のスピードが落ちます。


近所の方が、父に「あんたところの娘は、足のたわない自転車で、

東西橋の坂の上から降りてきては、また自転車をおして上り、

降りてきているよ、命が無くなるよ!」と言われ、私はてっきり

父に叱られると思いました。


覚悟をしていましたが、次の日、父は私のために子供用の自転車を買ってくれたんです。
(姉も弟も、自転車は買ってもらえなかったのですが、私はなんて親の心配の種だったことでしょう。)

その時の、一枚の写真があります。

 父に買ってもらった、自転車 

「親の心子知らず」でしたが、父の創作したしょうが湯を、

昭和42年から、63年6月まで、一途に一生懸命、全国を売って歩いてまいりました。


スギマル きーばあちゃんより 次回へ続く 



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