きーばあちゃんのしょうが湯一代記 第四章 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 2月 12, 2013 こんにちは、きーばちゃんです。少し、懐かしい写真をご紹介させていただきます父の後ろが私です。尾道市向島にある千汐海岸にて私は、母の前(向かって一番左)です。広島の宮島にて 多分、小学校へ上がる前だっとと思います。かわいいでしょう・・・ それでは、次回「きーばあちゃんのしょうが湯一代記 第五章」、楽しみにお待ち下さい!! リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
きーばあちゃんのしょうが湯一代記 第八章 11月 16, 2013 創立27年目に入りました。 25周年の祝いが済み、「さあーこれからスギマルの誕生」を 書いてまいろうと思ったのですが、なかなか書けなくて・・・。 やはり父のしょうが湯を手伝ったところまでさかのぼり 書いていかなくてはスギマルの歴史は語れません。 しょうが湯の歴史は父と母が2,3年かけて苦労に苦労を重ねて 開発した商品です。 以前から、あめ湯、冷やしあめはありました。 戦後甘ければいい商品は作られてまいりましたが、 父、母は身体に良い商品を作りたいと長い間願っていました。 父が子供のころ、祖母が風邪気味だった時にかたくりと砂糖を湯に溶き、 飲ませてもらっていました。 すると身体が温まり、快方に向かいました。(それを父が思い出して・・・) そこでしょうがを使った商品が出来ないものかと 試行錯誤していましたら、しょうが湯がやっとの思いで出来ました。 販売価格は5食200円で、当時大卒の初任給は15,000円の時代でした。 これは(このしょうが湯)はかなり高価な商品でした。 本格的に製造販売を始めて、新規問屋を開拓していく決断をしました。 すると商品は美味しく、味も良く、特に風邪に良い商品だと確信しており、 またこの世にはない初めての商品でもありました。 しかし実際は、父が初めて作った自信作のしょうが湯は、 相手方には伝わらず「お風呂に入れるの?」という質問が返ってきました。 ここから、父、母、姉、私、四人の波乱万丈の時代に入っていきます。 続きを読む
きーばあちゃんのしょうが湯一代記 第三章 2月 02, 2013 こんにちは、きーばあちゃんです。 またまた大変、長らくお待たせいたしました。 「きーばあちゃんのしょうが湯一代記 第三章」です。 父は、私が小学校の頃は、あめドロップ菓子をつくり、 菓子問屋に卸しておりました。 しかし、菓子問屋の倒産等で生活は大変でした。 倒産した菓子問屋は支払いができないので、 お金の代わりに菓子(チョコピー他)商品を持ち帰っていましたが、 私には事情が分からなく、お菓子を喜んで食べていました。 小学校4年生くらいだと思うのですが、こんな事もありました。 父の配達する自転車(荷台が大きく、荷物がたくさん積める自転車)を、 坂の上までおして上がりました。 しかし、この自転車は大きくて、小さい私には足が届きません。 ブレーキにも手が届きません。 坂の上に自転車を持っていき、足の届かない自転車に乗って、 坂の上から出発したんです。 何とか下まで走っていき、 ちょうど尾道の対岸にある、向島中央の東西橋のあたりで自転車のスピードが落ちます。 近所の方が、父に「あんたところの娘は、足のたわない自転車で、 東西橋の坂の上から降りてきては、また自転車をおして上り、 降りてきているよ、命が無くなるよ!」と言われ、私はてっきり 父に叱られると思いました。 覚悟をしていましたが、次の日、父は私のために子供用の自転車を買ってくれたんです。 (姉も弟も、自転車は買ってもらえなかったのですが、私はなんて親の心配の種だったことでしょう。) その時の、一枚の写真があります。 父に買ってもらった、自転車 「親の心子知らず」 でしたが、父の創作したしょうが湯を、 昭和42年から、63年6月まで、一途に一生懸命、全国を売って歩いてまいりました。 スギマル きーばあちゃんより 次回へ続く 続きを読む